2006/12/30〜2007/1/3 三宅島旅行(その2)


三宅島旅行その2です。1/1から1/3です。



宿で年越しそばを食べて、部屋で紅白歌合戦を見終わった後に車で島の北側の御笏(おしゃく)神社へ初詣へ向かいます。

日付が変わってすぐに島の神社で参拝するのが、私たちが島で年越しするようになってからの慣習になりました。

車の中で新年を迎えたのですが既に地元の方が参拝に来られていました。我々も混じって参拝。
境内では地元の青年会の方々が甘酒と豚汁を配っていました。
2000年噴火以前は阿古地区に冨賀(とが)神社がありましたが、現在は阿古高濃度地区内のため初詣はしていないそうです。



「おしどり」の目の前にある坪田小学校(休校中)。
帰島後は校庭が災害ゴミの処分場になっていてとても見られたものではなかったとの ことでしたが、今はすっかり綺麗になっています。


宿の廊下には噴火前後の色々な写真が貼られています。
左上のほうに石原都知事が来島した時の写真が貼られています。他にも天皇陛下が訪問されたときの写真もありました。



2000年噴火以前のダイビング客の記念の寄せ書き。



食堂には2000年噴火の後の災害復旧計画図が貼られたままになっていました。
ちなみにこの宿は帰島前にいち早く営業再開して工事の作業員の方々の宿として利用されました。 それ以前の作業員の方は公民館などに分散していたらしい。
いろいろ話を聞かせていただきましたが、やはり帰島前後は大変な苦労があったらしい。



部屋に戻ってから国土地理院発行の三宅島の地図(噴火後版)と赤色立体地図で地形探索です。
何故この部屋にはテーブルがないの?



長太郎池から御蔵島が見えます。三宅島とは割とすぐ近くにあります。
夜になると島の家の明かりが見えますし、ここ坪田地区のテレビのアンテナは御蔵島の集落の方向を向いています。



長太郎池わきの溶岩流の跡です。



太路池(たいろいけ)。昔の火口跡で、島の水がめとして活用されています。
このあたりは比較的火山の影響が少なく、私たちは見ませんでしたが、野鳥なども生息しているらしいです。



新澪池跡の脇に設置してあった気象庁の地磁気センサ。脇にある白いNTTドコモのアンテナで観測データを送信するようになっていました。


新鼻です。割れ目噴火の溶岩の噴出物で格好の釣りポイントになっています。
釣りの人が岩場の一番先までいって釣っています。



2000年噴火の泥流で埋まってしまった椎取神社です。が、



すぐ脇に新しい鳥居とりっぱな社が再建されていました。



生島新五郎の墓です。最近話題の「大奥」の「絵島・生島事件」の当事者の墓がありました。



1/2は、島の東側の中腹で無線運用です。ちなみにここから山側は立ち入り禁止区域。雄山の山頂から噴煙が流れているのが見えます。今日の風向きでは南側に流れているようで、この場所では硫黄の匂いはまったくしませんでした。
(その代わり夜になって宿にいたら硫黄の匂いが漂ってきました)



阿古の漁港で昼から始まった「船祝い」です。
餅や飴ではなく、船上からみかんを投げます。



最終日1/3は朝から風雨が強かったのですが、1時間ほど中腹で無線運用をしました。



道の途中にあった某レストラン(営業中)。
建物の裏側が、侵食で削られてヤバイ状態になっているんですけど・・・



レンタカーを返却して、宿をチェックアウトして、宿の車で港まで送迎してもらいました。
ほぼ定刻に錆ヶ浜港にさるびあ丸が入港しました。
帰りの船内は2等和室。行きに比べて帰省帰りの人が多いように感じました。
船は14時に出発して東京竹芝桟橋到着は20時30分頃でした。


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